『修正主義者』を検閲にかける無修正の宣伝資料(醜悪)。
前衛都市代表・松永天馬
アーバンギャルの皆さんこんばんは。前衛都市代表・松永です。
“修正”後のアーバンギャルドの顔面(visage)が
瓦解したアイデンティティを取り戻すまでの記録。
すなわちライナーノーツを記載します。
読んだらすぐに燃やすこと!(E・レヴィナス)
1.セーラー服を脱がないで
もう我慢できません。あたえられるものが多すぎて、捨てることしかできません。処女とか。処女とか。処女とか! そんな現代の若者に贈ります。初心に返ったアーバンギャルドの処女賛歌。童貞も処女も非処女も非童貞も、老いも若きも補完計画で初心に還ってくれ。
スピーディーなデュエット曲ってありそうでなくて、大抵の曲はムーディーで重くなってしまいがちです。だからそういう「大人っぽさ」を吹き飛ばしたかった。十代の頃に持ち歩いてた爆弾をもう一度作り直してみたんです。大人の女性のようでもあり、とはいえ少女(もっと言えば、幼女。それも二次元の幼女ではなく、無我の、リアルな幼女)のようでもある浜崎の歌声も、一役買っていることでしょう。スモーキーな発声が力まかせな松永の声とミスマッチにマッチしています。
僕が思春期を迎えた頃、世は空前の女子高生ブームでした。97年、援交によって捨てられた何かも、救われなかったシンジとアスカも、終わりなき日常を生きることに決めたラヴ&ポップも、無限大の空想X(Yes!)に洗い流され、10年後、やさぐれた新世紀だけが、古典的アイドルみたく、時代遅れの処女信仰をウィスパーで囁くのです。現実を見ろ! おニャン子クラブはヌードになり、あいぼんは夢をあたえつづけてきたファンたちに夢を炎上させられた。「セーラー服を脱がないで」これは時限爆弾を添付した、未来のない闘いです。ヴァージン・スーサイズ。死ぬための女の子。
2.修正主義者
タイトルチューン。今のアーバンに相応しい、シニカルなタイトルです。
ベッタベタな曲が作りたかったのです。メロウで、ダンサブルで、お約束的な。しつこいぐらいおんなじフレーズを繰り返して、くどいぐらいユニゾンで歌い続けて、しかし段々とそれが悦楽に収束されるような。具体的なお約束感を示すとすれば、Aメロで機械的な音階を示し、Bメロでメロディアス、そしてサビでは再び機械的にこき下ろすとゆー。ラップで始まりサビ前で唐突に歌謡曲化するのはモー娘。やオレ・オレでありますが、ああいった多重人格っぽい、ハイブリッドな?イマ風の曲を作りたかったんだおっお(死ね!)。これは歌詞にも言えることですが、Aメロでは冷たいのに、Bメロでちょっとだけ女の弱さを見せる。でもサビではまた冷たい女だった、みたいな。ツン-デレ-ツンの構造というか、心ないキャバ嬢の構造であります。いやあ、失恋はしてみるものですね。
ライヴでの人気曲、満を持してのリリースです。
3.少女のすべて
浜崎がつくってきたデモを、谷地村が完膚なきまでにバラバラにしました。バラバラにされた少女の死体は映画館の物置に仕舞いこまれているんですが、大人になった少年が後年それを開いてみれば、アラ不思議。少女の肉体は時間の糸に縫合されて、シリカゲル保存されていたというわけ。映写機にかければ、捨てられたはずのキスシーンだけを切り貼りされた映画のように、かつての少女が語りだします。路上を収集し、サンプリングし、イマを残すことに全力を傾ける。それこそガーリッシュな所作ですが、時計を止めるためには叩き壊さなければならないことも、彼女たちは知っているのです。問題のない私たち。エンディングは密やかにOD。
付録・『修正主義者』PV
タイトルにふさわしく、モザイク処理とクロマキー処理が全編を覆っております。A嬢に代わる新たな歌姫として浜崎容子が浮上する刹那が、解かれるモザイクというシチュエーションによって説明され、逆におぞましいもの、醜いもの、見たくないものはカラーバーの虹に覆われていくのです(自己批判しろ!)。つまり放送事故とプロパガンダの戦いでもあるわけだ(自主規制しろ!)。ドレミの音階もスペクトルも七色であるという発見が、この作品において音と光をつなぎました。ミッシングリンクはモザイクでつなぐものです。
なお、ここでの「PV」は「プロパガンダ・ヴィデオ」の略であることを明記しておきます。
※最後に。このCDは無修正です。
見るに耐えない現実のBGMとしてお楽しみ下さい。
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